栃木市に、版画家・糸井哲夫さんを訪ねた

 益子・円道寺窯の一時期について詳しく知る人がいる。そう聞いて、栃木県栃木市に住む版画家、糸井哲夫さんを訪ねた。
 栃木市は江戸時代から宿場と舟運によって栄えた商都として知られる。その繁栄を物語る見世蔵や土蔵が、市内各所に数多く残っている。中心街や嘉右衛門通りには黒塗り白塗りの蔵がいまも現役で建ち並んでいて、歴史ある街らしい風格と情趣を醸し出している。この蔵の街の一角に、糸井さんの住まいと工房がある。
 糸井さんは1933年生まれで、今年80歳になる。現在は工房で版画を中心に創作活動をおこなっているが、少し前までは益子に窯を持って、焼き物の制作もしていた。れっきとした陶芸家でもある。

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      話をする糸井哲夫さん 工房「四季」の二階で

 糸井さんは1960年代に生地の栃木市から益子町に移住し、そこで共産党の機関誌「赤旗」配達の手伝いをしながら、戦前、日本プロレタリア美術家同盟で活動した栃木市出身の画家、鈴木賢二に付いて彫刻や版画を学んでいた。一方で、円道寺窯にも出入りして、見よう見まねで轆轤を覚えた。当然ながら、三代目に当たる成井立歩さんをはじめ成井家のきょうだいたちとも交流があって、今回、その辺を中心に話を聞かせてもらった。(ひじょうに興味深い話だったが、紹介するのは別の機会に譲りたい)
 糸井さんは自らも焼き物の制作をしながら、焼き物に従事する人々の姿をたくさんの版画に描いている。なかでも「益子百態」は、従事者一人ひとりの労働の姿を無駄なく巧みに写し取っていて、見ていて興味が尽きない。焼き物産地の労働と生活を知るうえでも貴重な作品となっている。

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     「益子百態」の一つ 右は流し掛けをしている濱田庄司

 栃木市の街を歩いていると、糸井さんの作品をよく目にする。店頭に貼られているポスターが気になって近づいてみたら、糸井さんが手がけたものだったとか。土産物屋に入れば、糸井さんの手になる絵はがきや手ぬぐいなどが並べてあったり、蕎麦屋に入れば、糸井さんが描いた版画が飾られてあったりする。
 糸井さんはまた、請われて各地の観光ポスターなどにも版画を提供している。

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   左は成井恒雄の詩を版画にしたもの 右は「益子陶器市」のポスター

 80歳になっても、糸井さんの創作意欲は旺盛だ。いまも、「益子百態」からつながるものらしい、益子の優れた陶芸家たちの姿を制作中である。その作品を拝見させてもらったが、対象の人物の多くはわたしも知った作家たちで、デフォルメされた線のなかに一人ひとりの特徴が見事にとらえられていた。
 糸井さんの人生は波乱に富んだものだった。この日は、取材の主たる目的が円道寺窯にあったため詳しくは聞けなかったが、改めて時間を取って、ゆっくりと話してもらおうと思っている。
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 帰路、円道寺窯の二代目当主、成井金治が精神修養のためにかよったとされる寺に立ち寄った。黒羽町(現大田原市)にある雲巌寺という臨済宗(妙心寺派)の寺で、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗日本四道場の一つに数えられている古刹である。金治はこの寺をたびたび訪れ、座禅を組んだという。

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 八溝山地のふところ、深い森に囲まれた寺はあくまでも清浄かつ幽寂だった。そこにいるだけで我が身も自然のなかの一つと化したようで、恬淡として穏やかな気持ちにさせられた。
 雲巌寺には、その昔、松尾芭蕉も立ち寄った。そのおりに詠んだ句が残っている。
 木啄も庵はやぶらず夏木立
 句は石碑に刻まれて、いまも境内にある(1803年-享和3年建立、1879年-明治12年再建)。