高見恒徳の詩集『異境の地で二度殺されたアリランの父よ』が刊行

 高見恒徳の詩集『異境の地で二度殺されたアリランの父よ』がこのほど出版された。長年温めてきて、さらに長い時間をかけてまとめ上げた渾身の長編詩である。その経緯、創作にかけた作者の思いについては、詩人・大岩弘氏の本書に寄せた序文がいい。著者の了解を得てここに転載させてもらい、本詩集の紹介としたい。

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 序文
  鉱山の地中に埋められた負の歴史、掘りおこし
                    大岩 弘

 高見恒徳とは私鉄三人誌「火山列島」などを通じ、出会いの少ないそれでいて、長い付き合いを重ねてきた。これまでの彼の詩作は、主に障害を持つわが娘を思う親の気持ちを多少湿りを帯びた前向きな愛情で描き、一方、土着の農民の開けっ広げで生々しい生活を土地の方言を使って描きだしてきた。
 その彼が、今度は己の全体を振り絞るようにして書き続けた地元に横たわる「細倉鉱山」についての詩を一冊の詩集にまとめることを決めた。寡黙な人でたまに出会っても自分のことをあまり語らない。だから、彼のことが十分分かっているとは思わない。しかし、近年書き続けている「大堤沼便り」を読んでいると、思索の人というだけでなく、壊れそうな優しさを抱えた激しい行動の人でもあるということに気づく。早朝、駅頭で議会報告をする仙台市議の奥さんに寄り添うように幟を支えて立ち尽くし、また弱者の組織の重職を担い駆けまわる姿は尊い。また、彼は大堤沼にめぐりくる四季の移ろいを愛し、その情景を美しくまとめている。
 高見はこの詩集の舞台となる「細倉鉱山」で生まれ育った。それだけに懐かしさと深い愛着がある。そこで聞いたり目にしたことの数々は、深く脳裏に焼きついていて詩心を奮い立たせた。そして、鉱山の地中深くに埋められた負の歴史は永久に忘れてはいけない事実として後世に残したいと決意した。その作業は、地中深くで鉱石を砕く鉱夫に似て、探りだし、掘りおこし、削りとり、地上へ引きずり上げるという勇気と困難な仕事であったろうと想像する。
 詩に描かれた鉱山の様子は、地獄の様相を帯び、働いた無名の人たちの悲鳴が突き刺さってくる。特に近年に入ってからは、戦争に突進する国と結着した我欲だけの三菱財閥の姿に強い怒りを覚える。それにしても、伊達政宗の時代(一五〇〇~六〇〇年)から今日に至るまで、人間を使い捨ての道具としてしか見ない支配者、放出する鉱毒に無策で看過するといったそのありように変化がないことに驚く。働いた人たちの中には、朝鮮から強制連行された人たちも多く含まれ、いかに残酷な扱いをされたか、彼は血肉を分けた兄弟のような位置から描き出している。
 父祖の血を引き継いだ高見恒徳が渾身の力で描いたこの詩集は、地元の負の歴史を語り継いでいく一つの契機となること、特にこれからの時代を担う若い人たちの中で広く読まれ、自分のものとしてくださることを願ってやまない。

 あわせて、巻頭の詩「山颪」も紹介したい。

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