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「復興の歌」を聴き「復興の酒」を飲んだ、あのときのこと。

 知人が亡くなった。生前、宮城県塩竃市に住んでいたが、もともとは岩手県釜石市の出だった。深いつきあいはなかったが、わたしの書いたものを目にしたりすると、思い出したように電話をかけてきた。それがいつも、すごい長電話になった。
 最後に会ったのはちょうど二年前だった。このときも本を読んだと電話をよこし、互いに長っ話をした。そのうち変な勢いがついてしまって、成り行きで仙台市内で飲むことになった。楽しい酒だった。
 そのことを、当時のブログに書いた。衣替えする前のブログで、すでに記録も残っていない。そこで、ここに改めて紹介し、故人の人柄を偲びつつご冥福を祈りたい。

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 「復興の歌」を聴き、「復興の酒」を飲んだ(2012/02/15)

 ルポルタージュ津波の町に生きる』を読んだといって、釜石市出身の人が訪ねてきた。読むうちにむかし暮らしていた釜石の町が思い出され、津波被害のひどさもさることながら地名や人の名前に懐かしさが込みあげてきて、いても立ってもいられなくなったのだという。彼は酒を1本、鞄に忍ばせてきた。
 酒の銘柄は「浜娘」。釜石市の隣、大槌町は赤武酒造の酒である。その酒蔵は、しかし大震災のときの津波で流されてしまった。
 「浜娘」はこの酒蔵の看板銘柄で、いつか必ず地元で酒造りが再開できるようにとの願いをこめ、店主らが盛岡市にある蔵を借りて昨年秋に仕込んだ。それが暮れに出来あがった。
 造ったのは1万5千本。うち2本を予約して手に入れた。そのなかの1本を、わざわざ持ってきてくれたのである。ラベルには町と酒蔵の復興への決意そのままに、「復活」と刷り込んであった。

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 その彼と、まだ日が高いうちから酒を飲んだ。彼はコップ二杯も飲むとすっかり酔ってしまい、やがて歌をうたいだした。
 それがなんとも不思議な歌だった。うたい終わると彼は一片の紙を取り出して見せ、「津波の歌」だと言った。
 歌は1933(昭和8)年に襲った昭和三陸津波の翌年にできたものらしい。彼によれば、当時、石黒英彦岩手県知事の肝いりで歌詞がつくられ、岩手師範学校の教官によって曲がつけられた。
 それにしても、「津波の歌」とは妙だなと思った。調べてみると、どうやら、そのときつくられたのは「慰霊の歌」と「復興の歌」の2曲で、「津波の歌」とは「復興の歌」のほうのようである。

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 盛岡の合唱グループが今回の大津波を教訓にして、津波を風化させてはならないと、この歌をCDに録音して普及に努めているのだそうだ。彼が見せてくれた紙片は二部合唱のための楽譜で、原曲に新たに低音部を加えたものであった。

 大津波 くぐりてめげぬ
 雄心(こころ)もて いざ追い進み 参い上らまし

 歌詞のほうは「復興の歌」というだけあって、なかなかに勇ましい。彼はそれを、同郷の被災者たちの背中を押すかのように、力強く何度も何度もうたった。
 その歌がいまも耳に残っている。ときおり前触れもなく再生され、そのたびに、取材で訪れた釜石の荒れ果てた光景がよみがえってくる。