原発で釣り場を失った友を思いつつ、外道のイナダを食べ尽くす

 知人が大量のイナダを持ってきた。イナダと聞いても西日本の人たちには耳慣れないかもしれないが、出世魚であるブリの子どもと言えば見当がつくだろう。地方によってはツバスとかハマチなどとも呼ばれていて、関東ではさらにワラサとなってブリに成長する。
「外道ばかりで」と、ちょっと照れくさそうに言うところを見ると、知人の狙いはどうやらマダイだったようだ。とはいえ、なかなかの良形で、大半が体長40センチぐらい。まだブリにもなりきれない魚だから脂ののりはわからないが、見た目はよく肥えていた。これだけの量だと、当分のあいだ、食卓はイナダづくしになる。
 長く勤めた広告会社を退職し、いまは週3日、福祉施設を手伝っている知人は、サラリーマン時代から週末になると必ず竿を担ぐほどの釣り好きだった。釣り場はたいがいが三陸沿岸で、三陸で捕れないマダイを狙うときばかりは、酒田市の沖合に浮かぶ飛島まで遠征した。今回もそうだった。
 その彼が、しばらく釣りをやめていた。原因は2011年3月11日の東日本大震災だった。津波でがれきの原と化した海岸を目の当たりにして、彼は魚を釣る意欲を失った。
 福島第一原発の事故がそれに追い打ちをかけた。放射能による汚染は沿岸漁業に甚大な損害をおよぼし漁民を自殺にまで追い込んだが、生活がかかっていない釣り人たちの心をもひどく打ちのめした。以来、彼は軽度の鬱状態に陥った。
 再開したのは最近だった。でも、三陸沿岸に行くことはなかった。頻度も月に一回程度、時間も費用もかかるが、釣り場はもっぱら日本海になった。それで、なんとか鬱状態から脱した。
 けれど、まだ本調子ではない。彼は山菜採りも大好きで、それがかなわなくなったからだ。かよい慣れた山はどこも放射能に汚染されていて、採ることができない。県境を越えて秋田県山形県に行く手もあるが、そうまでして山菜を求めることに罪悪感をおぼえた。

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 もらったイナダは早速調理した。まずは形のいいものを選んで刺身にし、何本かは漬け丼に、何本かは煮付けや酒蒸し焼きに、残ったアラはアラ汁にした。なかでも、漬け丼と酒蒸し焼きがうまくいった。
 酒蒸し焼きははわたしのオリジナル(似たような料理法はあるかもしれない)で、塩と胡椒を振ったイナダ(切り身)をオリーブオイルをひいたフライパンで軽く焼き、そこに酒をかけて数分蒸すという簡単なもの。意外にも身がふっくらとして、味も香りも食感もよかった。思わず酒もはかどった。
 漬け丼もシンプルでしつこくなく、好みに合っておいしかった。そのさっぱりした味が、酒を飲んだあとの締めにほどよい。
 こうしてほぼ4日間、イナダ料理ばかりを食し、食べ尽くした。

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    漬け丼 調子に乗って海苔をかけすぎてしまった

「今度はきっとマダイを釣ってくる」知人はそう言い残して帰った。その姿が負けん気の強い子どものようで、おかしかった。本命が揚がらなかったことがよほど悔しかったに違いない。
 振り返ると、知人は、震災前、何度となくマダイを届けてくれていた。体長が40センチ前後のものが多かったが、いちど、60センチほどもあるのを持ってきてくれたこともあった。それが釣ったなかの二番目の大きさだったそうで、どういうわけか(もしかすると60センチに目を奪われていたのかもしれないが)一番目がいったいどれぐらいのものか聞き損なった。想像するに、相当の大物だったのだろう。そのときの彼の自慢げな顔が、印象的だった。
 そんな姿をもういちど見たい。満たされない知人の気持ちを思いながら、いま、そう願っている。