「見捨てられたモノたち」を再生―中村学のオブジェ by Gallery noie (益子)

 栃木県益子町の北部、林のなかにぽつんと一軒のギャラリーがある。noie (ノイエ)という。「の家」を意味するらしい。「の家」の前にはいろんな言葉(あるいは記号でもいい)が入りそうだ。「おれ」でもいい、「X」でもいい。オーナーがそう考えたかどうか知らないが、勝手にそう思っている。

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 ギャラリーのオーナーは中村学さんという。自身もアーティストだ。以前、このギャラリーで「古川百合子、成井美沙子二人展」が開かれ、そのときはじめてお目にかかった。成井美沙子さんは成井恒雄さんの奥さん(お二人とも故人)で、わが娘の姑。古川百合子さんは、わたしが益子に移住してからお世話になっている診療所の奥さんで、成井恒雄さんの弟子だった。そんな縁だ。
 その中村さんの作品展が、この Gallery noie で開かれている。で、早速見にいった。

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 案内のポストカードには「見捨てられたモノたちに」とあった。なるほど、作品はうち捨てられた釘や針金、木片といった廃品ばかりでつくられている。その一つひとつはもはや用無しとして棄てられた物だが、中村さんはこれら廃品を組み合わせて、そこに新たな生命を吹き込んだ。それがなんとも懐かしく、またいとおしい。じっと見ていると、なにやら胸が熱くなってくる。
 そのうち、思いがけず、松本俊介の絵が浮かんだ。たとえば、「Y市の橋」とか「運河風景」とか「駅」といったような。その唐突さに自分でも驚いたが、あとになって考えてみて、両者にはどこか通底するところがあるようだと思った。

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 なかで、気に入ったのが上の作品だ。後日娘たちが見にいったおり、頼んでキープしておいてもらった。展示会が終われば、たぶん手元に届くはず。待ち遠しい。
 なお、展示会は11月30日まで開かれている。

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コスモス祭と聞いて行ってみたが……

 前から気になっていた神社を訪ねていっての帰り、不覚にも小さな窪地に足を取られた。危うく転倒しかけ、それをなんとかこらえたものの、支えたほうの足首をくじいてしまった。そればかりか、その衝撃で頸まで痛めた。明くる日になると頭痛、めまいがひどくなり、吐き気までしてくる。がまんできず病院に行くと、頸の捻挫だと告げられた。ようするに、むち打ち症だ。
 医者からは貼り薬と化膿止め、痛み止めなどの服薬を処方された。が、あまり効果がない。最近になって少しばかりよくなってきたが、今月末まで出さなければならない原稿が仕上がらず、新たな頭痛の種になっている。
 そんな状態で、気分転換にと、近くで催されているコスモス祭に出かけてみた。祭といってもとりたててなにかあるわけでなく、一面にコスモスの花が咲いているだけ。その花も、すでに盛りを過ぎていた。眺めていて、気が晴れるどころか、なんだか侘しくなってきた。

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 これから、原稿が不首尾の言い訳でも考えよう。

 

 

 

益子・成井窯の窯炊き

 隣の成井窯で窯炊きが始まった。きのう(28日)の朝7時に火を入れて一昼夜半、やっと2房目の焼成に入った。きょう中に3房目まで焼成し終え、二昼夜おいて窯出しになる(らしい)。
 きのうから手伝いの人が何人も来ていて、ほんとはこちらも手伝いたいところだが、素人はかえって足手まといになるだけ。そこで、妻と二人で炊き出しを引き受けることになった。
 さて、今回はどんな仕上がりになるだろうか。作り手でなくとも、不安と期待が入り交じる。

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益子は蕎麦の花が真っ盛り

 蕎麦の産地といえばすぐ北海道や東北、信州を思い浮かべるが、北関東、なかでも茨城県や栃木県はそれらに比肩するほどの産地なのだそうだ。
  農水省の統計によると、2015年の都道府県ごとの蕎麦生産量は、北海道がダントツの一位で、二位が長野県、三位が茨城県、四位が福井県、五位が山形県で、栃木県が六位だという。そう言われてみれば、確かに、周辺には蕎麦畑が多い。

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 きょう、たまたま用事があって益子町の南部、農村部を車で走っていたら、至るところで蕎麦畑を目にした。ちょうど花の盛りで、まるで白い絨毯を敷いたよう。思わず見とれてしまった。

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 いよいよ新蕎麦の季節到来だ。蕎麦好きにはたまらないなあ。

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5年目の盆

 信仰心もないのに、継ぐ者がいなくて墓守を引き受けてしまった。といっても、もう25年もむかしのことだ。
 墓には妻の両親が入っている。その墓守の役目として、盆と彼岸の墓参りは欠かさない。家には遺された仏壇もあって、あまり熱心ではないけれどときどき花を供える。気が向けば線香も上げる。この春、益子に引っ越すことになって、仏壇もいっしょに引っ越した。
 だが、私はその墓に入るつもりはない。妻もどうやらその意向のようだ。娘たち家族には散骨にしてくれと言ってある。じつは、娘の師匠で義父母でもある成井夫妻も散骨だった。家には仏壇も写真も置いてない。当然、墓もない。
 といって、故人が軽んじられているわけではない。それどころか、遺族ばかりでなく知人たちにも、それぞれに特別の想いとして深く刻み込まれているようだ。命日になれば、子どもたちが散骨した海近くの岸辺に集い、故人を偲ぶ。故人は彼らの心の中に生きている。墓があるかないかは関係ない。もちろん、墓を否定するつもりはない。亡き人を偲ぶ形はいろいろあっていい。そう思うだけである。

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            写真はイメージ

 墓を守っていくというのは案外難儀なようだ。近くに住んでいればいいが、遠く離れてしまうと墓参りもままならなくなる。元気なうちはまだしも、老いて体の自由がきかなくなればどうしようもない。そうやって無縁になっていく墓が増えている、と聞く。
 この盆、墓のある寺から引っ越し先まで回向の案内が届いた。その末尾に、長く連絡が取れないと墓が取り壊される、と記してあった。印字だから、わざわざわが家に向けて書かれたわけではないと思う。時世の反映なのだろう。
 あの大震災で、家の墓は上半分が倒れた。それはしかしまだいいほうで、海岸のほうでは寺もろともことごとく流された。高台にあって流出をまぬがれながら、大半が倒壊してしまった墓地も少なくない。
 ところが、そうしたところへ翌年行ってみると、真新しい墓が建てられている。2、3年もしてみれば、流された墓地はべつにして、多くのところで墓が再建されていた。肝心の家がまだ再建もされていないのにだ。墓とは―先祖と言い換えてもいいが―、そうしたものなのだろう。いま現在がつらければつらいほど、そういう思いが強くなるのかもしれない。
 盆になると、郷里の寺にある百日紅を思い出す。ちょうどいまごろ、紅色の花をたくさん咲かせた。益子のいまの家にも百日紅がある。一本は紅色、もう一本は薄紅色の花を咲かせる。紅色のほうは樹齢40年はあろうか、巨木に成長している。その花が、いま盛り。見上げると、まるで亡き人の魂が宿っているようだ。

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           わが家の庭の百日紅

 それを眺めいていて、ふと二ヵ月ほど前に訪ねた福島が想われた。ついでに、一句浮かんだ。が、俳句は好きだが、詠むのはまったくの素人。そこをわかってもらって、笑われるのを承知で最後に紹介しておきたい。

     浜街道 主いぬ庭や 百日紅