再び、にかほ市金浦へ

 このところ、頻繁に出かけまくっている。といって、忙しく出歩かなければならない用事があるわけではない。むしろその逆で、用事なんてあってないも同然。にもかかわらず、出て歩く。
 やっと気持ちのいい季節になり、家のなかにじっとこもっているのがつらくなって、ふとなんの計算もなく出かける。それがちょっとした弾みになって、生来の「のっつぉこぎ」の性が頭をもたげてくる。「のっつぉこぎ」の虫は、いったん起きてしまうと容易には静まらない。当分のあいだ、好きにさせておくほかない。
 こうして、この時期になると、何日でもほっつきまわっていたい気分になる。そして実際、ほっつきまわることになる。
 そんな姿をはたから見たら、遊び人のように思うだろう。事実、それに近いかもしれない。でも、そうであっても、ちゃんと「のっつぉこぎ」の流儀には沿っている。
 「のっつぉこぎ」とは、わたしなりに定義すれば、不自由さのなかの自由に遊ぶということだ。したがって、「のっつぉ」をこぐのに金はかけない。きょうび、まったくの無銭というわけにはいかないが、遊ぶにもできるだけ金を使わない、質素を旨とする。
 質素であればあるほどいい。決して、酒色や宴会に興じるようなことがあってはならない。それでは「のっつぉ」本来の自由さがなくなるのではないか。そう思われるかもしれないが、自由は野放図とは違う。野放図は精神が弛緩して、本来の自由さがない。
 自由とは精神の解放を意味する。それは弛緩とは対極の、ある種の緊張のなかにある。言い換えれば、不自由さのなかにこそ、究極の自由がある。これが「のっつぉ」の極意、わたし流の解釈だ。
 けれど、そんな面倒くさいことはどうでもいい。出かけたいときに出かければいい。金はないならないなりに、なんとかなる。それでも、遊興にしか見えない周囲には、多少の言い訳が必要になる。そこで、訊かれれば、「取材に」とこたえる。
 そんなことで、9月半ばにつづいて月の末にも、秋田県にかほ市に行った。にかほ市といっても、目当ては、漁港のある旧金浦(このうら)町である。

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 なぜ金浦なのか。あえてこたえれば、ある女性と会うためである。もっとも、その女性と、わたしは一度も会ったことがない。彼女が誰なのか、どこに住んでいるのか、それすらも知らない。わかっているのは、たまさか、彼女が金浦漁港近くの、ある墓所に来るらしいということぐらいだ。
 その彼女と会うために、9月半ば金浦を訪ねた。が、会えなかった。そこで、月末にまた訪ねたというわけだ。しかし、このときも会えなかった。
 でも、あまり残念に思っていない。というのも、会えないことが会えると同じくらいの意味があると思っているから。だから懲りずに、たぶん、また行く。

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 その女性をべつにしても、金浦はわたしの好きな港まちだ。どうしてなのか、理由は自分でもはっきりしない。おそらく、それは、このまちの独特のたたずまいのなかにあるのだろう。
 太平洋沿岸、とりわけ三陸沿岸の漁村を見慣れている目には、日本海沿岸の漁村はどこか女性的な感じに映る。現実の日本海沿岸は冬の海風がすさまじくて、暮らしも過酷なのだが、それでも、どうしてか、人を包み込むようなたおやかさが感じられてならない。それは、あるいは、海へ沈み込むあの緩やかな段丘のような地形から来るのかもしれない。

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 そのなかでも、金浦はわたしにとって特別のようだ。細い路地に肩を寄せ合うようにして連なる黒い瓦屋根の家並み。鈎型の湾口に浮かぶいくつもの小型漁船。船着き場に沿って並ぶ錆びたトタン張りの番屋。人里離れた海岸の道沿いの、ひっそりとしてある小さな墓地。それらの光景のすべてが、既視感のように映ってくる。
 本当は、そこに、かの女性がいるはずだった。

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 港近くの、このまちに一軒しかない宿に泊まり、二日間、ただぶらぶらと歩いた。歩いていて、しばしば、泣きたくなるような懐かしさが胸にこみ上げてきた。
 そしてまた、心底、あの女性に会いたいと思った。

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      にかほ市観光協会のパンフレットから(勢至公園界隈)

 願いはなかなか叶わないものだ。でも、「のっつぉ」とは、あってもなくてもいい目的と、仮にあっても実現が叶わなくて、それでも、あるかもしれないと思って歩きまわるところに意味があるのではないか。近ごろそんな気がして、それはつまり、悠遠なるものへの憧れではないか、と思い当たった。
 夢や希望は遠くにあったほうがいい。どうも、そういうことらしい。そのほうが、少しは先のことを考えて生きられるのかもしれない。
 そう思うのは、年のせいだろうか。それとも、あの大震災を体験したからだろうか。