『ビッグイシュー』10周年―あらためて路上生活者のことを思う

 『ビッグイシュー日本版』がまもなく10周年を迎える。新聞の報道で知った。継続的な読者ではないので意識していなかったが、知らされてみればやはり感慨深いものがある。
 わたしが初めて『ビッグイシュー』を手に取ったのは2004年の夏ごろだったと記憶する。住んでいる仙台市の駅や公園でも路上生活者が目につくようになり、実態を調べようと思い立って前年の冬からたびたび上京し、何度目かになる翌年夏のある日、街頭で販売しているのを目撃して購入した。その後、仙台市内の街頭でも販売されるようになり、見かければ購入するようになった。

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  手元に残っていた2004年9月のビッグイシュー第13号(9.15発行)

 それから3年、断続的だが季節季節に上京し、上野・浅草界隈から新宿周辺などを取材して歩いた。ビッグイシュー日本の事務所にも取材した。
 当時、『ビッグイシュー』の定価は一冊200円だった。そこから仕入れ分の90円を差し引いて、残りの110円が販売者に還元された。
 これを一日25冊か30冊売れば、一泊1000円前後の簡易宿泊所に泊まることができる。35冊から40冊売れば、食事代を差し引いても一日1000円程度貯金できる。さらにそれを貯めていけば、7、8ヵ月ぐらいでアパートを借りる資金がつくれる。アパートを借りて住所を持てば、新しい仕事に就ける条件が整う。事務所の人はそんなふうに説明してくれた。
 実際はそう簡単ではないのだが、こうした努力を通じて、路上生活からの脱出をめざした。その方向は、いまも変わっていない。なお、現在は定価が300円で、1冊につき160円が販売者に還元されている。
 この取材をもとにして、わたしは2008年の6月から9月にかけて『さすらいびとのフーガ 』という小説を『しんぶん赤旗』に連載した(翌年1月単行本化)。養護施設を脱走した少年が顔も知らない父親を探して歩くという物語だが、これに、皇居前から国会議事堂まで日の丸の手旗を持って行進するという路上生活者たちの計画する「昭和の行進」や、そのリーダーたちの生き様が重ねられていく。そこにまた、民族の問題も絡んでくる。そんな小説だった。
 評価相半ばというか、むしろ批判ばかり聞かされた作品だが、わたしにとっては納得のいった小説だった。

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  小説『さすらいびとのフーガ 』(2009年1月発刊)

 結果として小説に結びついた取材だったが、その取材で出会った路上生活者のことはいまでも忘れられない。なかでも、隅田公園で会った青森県から来たという人のことは、ときどき夢にも見る。年齢がわたしに近いうえ、境遇があまりにも理不尽で、それが心のなかに張り付いて離れないせいだろう。
 高度経済成長の時代に出稼ぎで上京し、その後のバブル崩壊で職を失い、やがて住処をも失う。彼と同じような路上生活者は当時たくさんいた。
 彼らは、なにかの不始末を起こし、それが原因で路上生活者になったわけではない。もちろん、仕事を怠けて職場を放り出されたわけでも、遊興で金を使い果たして住処を追われたわけでもない。
 逆である。
 彼らは過酷な労働や劣悪な飯場での暮らしに耐え、ひたすら働いてきたのだった。ささやかな楽しみの酒さえも極力抑え、そうして切り詰めて貯めた金を、郷里に残した家族の許へ送りつづけてきた。すべては家族を守るためだった。
 彼らの働きはまた、この国の発展を支えてもきた。現実にある矛盾は別にして、曲がりなりにも豊かな日本を築き上げることができたのは、彼らの力に負うところが大きい。にもかかわらず、景気が悪くなったからとボロクズのように捨てられた。
 青森県の彼には、郷里に祖母と妻と3人の子どもがいた。けれど、連絡は途絶えたままだった。住所がないのだから郷里からは連絡のしようもないが、彼は自分のほうからも取ろうとはしなかった。取るのがつらいからだ。
 その彼に、わたしはそのとき、「青森に帰りたくないのか」と、ばかな質問をしてしまった。それに、彼は、「無一文で、どの顔下げて……」と、ひどく無表情にこたえた。
 いまはまた、状況が変わっている。若い路上生活者が増えている。根底には、この国の労働政策、そのもとでつくり出された厳しい労働環境がある。
 貧しいのは、貧しくさせられているのは、決して彼らばかりではない。われわれ国民の多くも同じである。しかし、貧しいというなら、本当に貧しいのは、不安定雇用を増大させ、大企業の首切りを放置して平然としているこの国の政治だろう。その腐った精神だろう。