津軽鉄道に乗り、沿線を歩いた

 講演で青森市に行ったおり、終えてそのまま帰ってくるのが惜しくて、ちょっと寄り道をしてきた。講演は拙著『原発ドリーム』をベースにした内容で、とくに僻地と呼ばれる村の、原発マネーなどに頼らない自立した再生の道、その可能性について話をさせてもらった。
 しかし、思ったような話ができなかった。もともと話すより書いたほうが意を伝えやすいから文筆の仕事をしているのだが、図らずも講演はそれを証明するものになってしまった。主催者の努力でせっかく大勢の方々が聴きにきてくれたのに、期待外れでがっかりさせてしまったかもしれない。
 そんなわけで、そのあと寄り道して帰るのはいささか気が引けた。けれど、「のっつぉこぎ」の性には勝てなかった。
 青森県といえば、昨年『原発ドリーム』の取材で下北半島を訪ねたばかりで、それ以前にも小説の取材や例の「のっつぉこぎ」の流れで何度も訪ねている。そのほとんどが、乗用車を利用した旅だった。時間に制約されず自由気ままに移動するには、車のほうが便利だからだ。
 でも、旅をするのに便利が必ずしもいいわけではない。まず、行った先でビール一杯というわけにはいかない。移動しながら、のんびりと景色を眺めるわけにもいかない。もちろん、うたた寝するなんてこともできない。しようものなら、とんでもないことになってしまう。その点、鉄道やバスのほうがいい。
 青森県内は、ほぼくまなく歩いている。当然、津軽地方にもよく行ったし、津軽半島も何度か巡っている。にもかかわらず、津軽鉄道には一度も乗ったことがなかった。今回、それがかなった。
 7月の末なのに東北の梅雨はまだ明けず、この日も天気予報では雨模様になるはずだった。ところが宿泊先の五所川原駅前のホテルを出ると、未明に雨を降らせた雲がうっすらと切れかかっていた。津軽鉄道に乗って金木駅に着くころには、雲間から日が差し始めた。

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    津軽鉄道の車内 上からぶら下がっているのは津軽金山焼の風鈴

 金木で降り、街なかをぶらぶら歩いて「斜陽館」あたりまで行くと汗ばんできた。とりあえず「斜陽館」に入ったが、急に渇きを覚え、館内の見物もそこそこに向かいのレストランに入った。そこでビールを飲み、ついでに昼飯を取った。

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          太宰治記念館「斜陽館」

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    太宰治が疎開中に使った書斎(旧津島家新座敷―2007年より公開)

 一息つくと、隣駅の「芦野公園駅」までまた歩いた。青空が広がり、夏の日差しになって、気温はさらに上がる。汗が噴き出る。たまらず、公園駅前の茶店に飛び込んでかき氷を食べた。それでも足らず、缶ビールを頼んだ。
 それから芦野公園の木陰の下に寝そべって、長い時間うとうととして過ごした。帰りは「芦野公園駅」からまた鉄道に乗った。

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   芦野公園内にある太宰文学碑 碑にはヴェルレーヌの詩が刻まれている

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   昭和5年(1930年)につくられた旧芦野公園駅舎 いまはカフェになっている

 ただ、それだけの一日だった。が、すごく穏やかな気持ちになった。久しく味わっていない、自分の息づかいをそうと感じ取るような、いまあることを胸底深くで実感するような、確かなものの感触を味わったような気がした。

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            津軽鉄道の列車 芦野公園駅

 それにしても、津軽鉄道ののんびりした速度がたまらなかった。津軽五所川原駅から津軽中里駅まで全長20.7キロを35分から45分かけて走るのだが、速度は国道を疾走する自動車よりも遅い。そのゆったりした速度が、時間のありがたさを実感させてくれる。その日一日あることの大切さを教えてくれる。これも確かなものの感触だ。
 ほんの小さな旅だったが、ちょっと元気が出た。