仄暮れて 盛るヘチマに 頭垂れ

 庭の垣根に植えた白樫の一本に夏の初めごろから蔓が生えてきて絡みつき、放っておくうち、花が咲いて実がなった。その実がどんどん大きくなって、またたく間に30センチ近くまで成長した。キュウリにしてはずいぶんと大きいし、太い。
 調べてみると、どうやらヘチマらしい。植えたわけではないし、種子がどこからか飛んできたか。あるいは、犬や猫が運んできたか。
 それにしてもこのヘチマ、呼ばれもしないのに他人の家に勝手に上がり込んで主のようにふるまうならず者のよう。なんともふてぶてしい。そのくせ、無防備でどことなく間が抜けている。そのちぐはぐさが面白い。せっかくだからこのまま成熟を待ち、いずれタワシにでもしようか。

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 つまらないもの、取るに足らないものにたとえられるヘチマだが、秋の季語でもあって、古くから句の題にされて親しまれてきた。なかでも正岡子規はとくべつで、ヘチマにまつわる句をたくさん詠んでいる。絶筆となった3句もやはりヘチマの句で、それが縁で彼の忌日(9月10日)は糸瓜忌と呼ばれている。
 その3句がこれ。
  糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
  痰一斗糸瓜の水も間に合はず
  をとゝひのへちまの水も取らざりき
 子規は肺結核だった。

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      正岡子規肖像(国立国会図書館より)

 ついでに、他の俳人文人のヘチマを題にした句を3つ、4つ。
  堂守の植ゑわすれたる糸瓜かな      与謝 蕪村
  長けれど何の糸瓜とさがりけり      夏目 漱石
  取りもせぬ糸瓜垂らして書屋かな     高浜 虚子
  けふはおわかれの糸瓜がぶらり      種田山頭火