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老人が手紙にこめた「窓あけて窓いっぱいの春」

 3.11大震災の津波被災し、いまも釜石市鵜住居仮設住宅に暮らしている老人から手紙が届いた。手紙には先日訪ねたことへの礼に加えて、「窓あけて窓いっぱいの春」という山頭火の句が書き添えられてあった。
 手紙はうれしかった。が、一方で、東側を山に遮られて朝日が届かない、彼自身、日当たりが悪くて住みにくいとぼやく仮設住宅での生活を思い、添えられた句に妙な引っかかりをおぼえた。
 句をそのまま素直に読めば、ようやく春めいてきて身も心も晴れ晴れとしている、ととるのが自然だろう。けれども、老人とその妻の暮らしぶりを多少でも知っている者には、それが逆の意味合いに響いてきてならない。そこが引っかかった。結局、そういう両義的な思いがこめられているに違いないと受けとめたが、それでもなお、老人の気持ちはやはり後者に傾いているのではないかという気がして、少々憂わしくなった。
 山頭火の『草木塔』に収められているこの句は、「孤寒」のなかの、母の四十七回忌に寄せた句につづく連にある。その部分を引用してみる。

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 うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする
 其中一人いつも一人の草萌ゆる
 枯枝ぽきぽきおもふことなく
 つるりとむげて葱の白さよ
 鶲また一羽となればしきり啼く
 なんとなくあるいて墓と墓との間
 おのれにこもる藪椿咲いては落ち
 春が来たいちはやく虫がやつて来た
 啼いて二三羽春の鴉で
 咳がやまない背中をたたく手がない
 窓あけて窓いつぱいの春
 しづけさ、竹の子みんな竹になつた
 ひとり住めばあをあをとして草
 朝焼夕焼食べるものがない

 山頭火の母は彼が10歳のとき(1892年―明治25年)、井戸に身を投げて死んでいる。山頭火は14歳のころから句作を始め、長じて俳句誌への投稿をおこなうようになり、やがて自由律の句にたどり着く。酒造場を営んでいた実家が破産したのは、それからまもなくのこと。山頭火が34歳のとき(1916年―大正5年)で、結果、父は行方不明になる。そこに追い打ちをかけるように、弟までもが自殺する。
 1923年(大正12年)、山頭火は関東大震災に見舞われて熊本市に逃げる。その逃げた先で不始末を起こし、それがきっかけで寺男となり、翌年、得度する。しかしそれもつかの間、一年後には寺を出ると、雲水姿となって各地を放浪、句作をつづけるようになる。
 前記の句が詠まれたのは1938年(昭和13年)のころで、ちょうど日本が日中戦争に突き進んでいく時期と重なる。「孤寒」の前に「銃後」の句があり後ろに「旅心」の句が置かれているのも、そうした時代を反映してのことだろう。
 そんなことを考え、あらためて「窓あけて」と一連の句を並べ読んでみると、これを引用した老人の心の在処がわかるような気がする。単純に、春めいて心が開いていく、というふうには受けとることができない。そしてそれは、彼ひとりだけではあるまいとも思う。
 手紙には、ある国際交流団体の機関紙に寄稿した老人の一文のコピーが同封されていた。そのなかで彼は、貞観地震津波をはじめとするこの地方を襲った津波を古いほうから順に並べ、そこに自身とその祖先にかかわる出来事を記している。即ち、明治三陸津波(1896年―明治29年)では祖母ひとりが生き残り、昭和三陸津波(1933年―昭和8年)では祖父母、父母、幼児3人、胎児の計8人が生き残り、今回の津波では夫婦ともに山中へ逃げて助かった、と。
 これには説明がいる。つまり、明治三陸津波では当時17歳だった祖母を除いて、養蚕業を営むその父母と家族、手伝いの者全員が亡くなったが、その教訓から家を高台に建てて以降は、度重なる津波の襲来にもかかわらず誰ひとり犠牲者を出さなかった、というのである。彼はそして、これらの地震の間隔がそれぞれ37年、78年あったことをあげ、「天災は忘れたころにやってくる」という警句には自分の体験から承服しかねる、とやや強い調子で述べている。
 コピーがどういうわけか途中で切れていて、全体の意図がよくわからない。が、裏に、今度の津波で大勢の人々が亡くなったことへの、持っていき場のない憤りと悲しみがあるように感じられてならない。備えていたつもりであっても自然の猛威にはかなわなかったし、備えが不十分だった人たちは今回もまた犠牲になってしまった。でもそれは、「忘れていた」からではない。知っていたけれども、自然の力を軽んじていたからだ。それが老人には腹立たしくて無念でならない。そのやるせなさが、「窓あけて」の句の引用にこめられたのではないのか。
 老人と彼の連れ合いの暮らしぶりを想像すると、どうしてもそんなふうな考えに行き着く。もしかすると、それは自分の心に宿しているものの反映なのではないかとも思うが、それならそれで、ちょっと救いがたいような気がしてくる。

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 そんな気分で、「きょうは4月中、下旬の陽気になる」という天気予報につられて仕事部屋から外に目をやると、晴れわたった空の下、うらうらとした春の光があふれている。すると図らずも、胸のなかに澱んでいたものがにわかに澄んでいき、心が外に広がっていくように感じられた。そしてふと、ああ、「窓いっぱいの春」とはこういうことなのだろう、と得心した。
 とすれば、あの老人夫婦にも、そんな瞬間があったってちっともおかしくはない。しかも、日々が耐えがたく先が暗く閉ざされていればいるほど、その感動は大きかったに相違ない。
 ようやく花を咲かせたわが家の木蓮を眺め、花粉症が日ごとにひどくなっていくのを気にしながら、いっとき、明るい表情を取り戻した老夫婦の顔を思い浮かべている。