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3.11大震災から4年 また被災地をめぐる

 3.11大震災の被災地を、折にふれて訪ねている。被災地という意味ではわたしの住むところも同じなのだけれど、現実にはこれといった被害をこうむっておらず、被災者が味わったはずの恐怖も悲しみも苦しみも実体験していない。それがある種やましさに似た痛みとなって、いまもずっと胸の底に沈殿している。
 ことさら被災地を訪ねるのは、それにたいする自分なりの解決の仕方なのかもしれない。なかでも、震災のあった時期に合わせて行くのには、特別の意味があるようだ。大震災から4年になるこのときも、前後を入れて3日間、岩手県大槌町から宮城県石巻市さらに女川町まで、三陸沿岸を訪ね歩いた。
 まわってみてまっ先に感じたのは、復興の遅れと、その速度の地域間格差だった。またそれが、被災者の心に大きな影響を与えていることだった。
 同じようなことは昨年も書いた。が、それから1年経って、さらにその差が拡大しているように感じられた。たとえば釜石市。同じ市内でも大町、大渡地区などの中心市街地では震災前に近い状態に戻りつつある一方、鵜住居地区周辺ではかさ上げ工事がようやく本格化してきた段階だった。もちろん、被害の程度の違いもあるだろう。であればこそ、それに見合った復旧・復興の速度が求められるはず。だが、現実はそうなっていない。
 その中心市街地でも、水産、商業といった事業者の再建は早いが、比べて、そうでない個々人の再建は遅れている。この5月に新しい家が建つとわざわざその現場を案内してくれた人も、事業者と個人への支援の差を嘆いていた。
 鵜住居仮設住宅に住む老夫婦は、空き部屋が増えていく状況に孤立感をおぼえながら、介護が必要な老人の行く場所はないと途方に暮れている。その仮設団地で、訪ねたその日の朝、住人がひとり部屋で亡くなっているのが発見された。前夜からカーテンを開けたままテレビがつけっ放しなのを、気にとめた近所の人が支援センターに連絡してわかった。60代の男性だった。
 自身も津波に流されて九死に一生を得た平田の仮設にいる女性は、いまも安定剤の助けを借りて暮らす。ふだんは外出をせず、ほとんど閉じこもり状態でいる。訪ねたその日も、戸を少し開けただけで、非礼を詫びながらもなかには入れてくれなかった。
 震災直後はそうでなかった。ときとともに、会うたびに、気持ちを閉ざしていくようだった。身内をなくし、病気も増やした。そんなことも影響しているのかもしれない。それでも話しているうち、自宅のあった鵜住居のかさ上げがすめば戻れる、と笑顔をのぞかせた。もっとも、それまでの2年間は、仮設住まいをつづけなければならない。
 同様のことはほかの地域にもある。そのいちいちをここに記すことはしない。記すにはスペースがあまりにも少なすぎるから。代わりに、そのときまわったいくつかの地域の様子を、簡単なコメントを添えた写真で示しておきたい。

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    ようやく本格化してきた釜石市鵜住居地区のかさ上げ工事

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    新しいまちづくりが進む釜石市の中心市街地 人も戻りつつある

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      釜石市の中心地に出店したイオンスーパーセンター

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    陸前高田市のかさ上げ ダイナミックな工事が進められている

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  遺すか壊すかで揺れる石巻市立大川小学校跡(児童・教師84人が亡くなった)

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   石巻市長面地区 沈下した土地はいまも湖のように水をかぶっている

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     石巻市雄勝町 高台移転のための造成はいっこうに進まない

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   石巻市旧市街地にある門脇地区 いまも震災時の荒涼とした光景が広がる

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     復興にはまだほど遠い石巻市の中心商店街 人通りは少ない