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3.11とモディアノ『1941年。パリの尋ね人』

 3.11大震災からまもなく4年になる。いまだに2590人の行方がわかっていない(2015.2.10 警察庁調べ)。遺体が見つかっても、どこの誰かがわからない人たちも少なくない。なのに、震災のことも犠牲者のことも、時とともに忘れ去られていく。
 人々の記憶が薄れていくにしたがって、犠牲者は次第に記号化、数値化されていく。その人がどんな人物であったのか、どんな生き方をしてきたのか、家族がいたのか、なにを生業としてきたのか、おそらくは顧みられることもない。やがて、津波が浜を根こそぎさらい取っていったように、この世にいたという痕跡さえなくなってしまう。そのことに、薄ら寒さをおぼえる。
 震災のあと三ヵ月ほどして、岩手県釜石市に取材に入った。そのとき、すでにそんな恐れを感じていた。それを、ルポ『津波の町に生きる』(2011年12月、本の泉社刊)の冒頭に書いた。
〈三月十一日の大地震につづく大津波で、ここ箱崎では、二百七十五戸ある家のうち二百三十戸が流された。押し寄せた津波は廃校になった一部三階建ての旧箱崎小学校をも呑み、高台の住宅地にまで迫った。鉄筋コンクリートの校舎はかろうじて残ったが、周辺の家々は猛り狂った波になぎ倒され、むしり取られた。死者・行方不明者は七十人を超えた。
 その死者一人ひとりの顔を思い浮かべようと試みる。もちろん、そんなことができるはずがない。けれども、あらかじめ頭に入れてきたこの集落の成り立ちから、つい百日前まで暮らしていた人々の営みを想像できないことはない。
 漁に出る漁師、網を繕う老人、庭の菜園で胡瓜を育てる老婆、箱崎トンネルをくぐり、あるいは南の桑ノ浜から両石を通って勤めに出る一家の柱、そしてまた、スクールバスに乗り、根浜の海岸の道を鵜住居の学校にかよう児童・生徒たち。だが、顔かたちはともかく、その一人ひとりの表情にまで辿り着こうとしたとき、いましがたまで死者・行方不明者七十人超とひとくくりにしていた自分に軽い失望を覚えた。人は、たとえ死んでいようとも数ではない。〉
 人は、たとえ死んでいようとも数ではない。それぞれに他人とは違う個性があり、固有の人生があった。そこに思い及ぼす必要がある。自戒をこめて、そう思った。
 だが、その先どうだったのか。すべてとはいかないにしても(もちろんできることでもないが)、物書きの端くれとして、その何人かについてでも、数値化された世界からこの世にすくい上げることをしたのか、できたのか。
 残念ながら、「否」とこたえるしかない。震災後、このことを念頭にいくつかの短篇を書いてきたが、納得のいくものにはならなかった。パトリック・モディアノの『1941年。パリの尋ね人』(作品社)を読むと、いっそうその思いを強くする。

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 モディアノのこの本は小説ではない。パリに暮らしたユダヤ人少女ドラ・ブリュデールの、誕生からアウシュヴィッツに送られるまでの、16年間を追ったノンフィクションである。それも、1941年12月末の、新聞に掲載された小さな〈尋ね人広告〉を手がかりに、気の遠くなるような調査、取材を重ねての。彼はこれによって、闇に消えた、忘却の彼方にあった無名の少女を、この世に確かに生きていたひとりの人間としてよみがえらせようとした。
 モディアノはなぜそこまでするのか。彼は日本の読者に向けたメッセージのなかで、次のように述べている。
〈一九四一年十二月のある新聞で、偶然、この少女の〈尋ね人広告〉を読んだとき、すぐに彼女のことが私の心にとりつき離れなくなりました。しばらくして、彼女も、そして彼女の両親も、人類が同胞に対して企てたもっとも恐るべき絶滅計画の犠牲者だったと知ったとき、この少女は永遠に未知の女性でありつづけるだろう、と思いました。それは何百万人もの人々を殺戮した以上、死刑執行人たちは、殺された人々がこの世に生きていた証拠も、役所の書類上のどんな痕跡も、何ひとつ残らないようにし、彼らの名前や生年月日が記されたカード・書類のたぐいは最後の一片まで破棄しつくしただろう、と予想されたからです。〉(白井成雄訳)
 モディアノは社会と歴史のなかから消されていく記憶をよみがえらせようとした。無名の人々のかすかな足跡を忘却から守り、そこに血をかよわせようとした。それは、彼自身の生い立ち、境遇とも深く関わっている。少女ドラやその両親のたどった先が、モディアノの記憶や彼を棄てた父のたどった道と交差するのはそのためだ。
 モディアノは、先のメッセージを次のように締めくくっている。
〈『1941年。パリの尋ね人』に寄せられたある批評を読んでいて、私は次の文章にとくに心を打たれました――「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学とはこれにつきるのかもしれない」〉
 モディアノはまた、「リベラシオン」紙への寄稿文のなかで、「文学を生みだす主要な原動力はしばしば記憶なのだ」とも語っている。曖昧な記憶としてしかない過去と現在を往還しながら、そのなかに人間の在処を見いだそうとする彼の小説スタイルは、たぶん、そこから生まれている。一連の作品が「記憶の芸術」といわれるのも、それゆえだろう。

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 そんなことを考えながら読んでいて、ふと、丸谷才一の『笹まくら』を思い出した。徴兵忌避をして全国を逃げまわった男の、そのときと20年後の「現在」を行き来する小説が頭に浮かんだことの不思議に驚くが、一方で、まったく脈絡のないことでもないとも思った。それに、再読を重ね、少なからず影響を受けてきた作品だから、なにかの拍子に思い出されてもおかしくはない。
 そんなわけで、また読み返すことになった。そして、あらためて深く感じ入った。ついでに、自分の力の程度も再認識させられた。