旅の途中、秋田県増田町の内蔵を観る

 9月半ば、所用で秋田県にかほ市に行ったおり、同県増田町(現横手市増田町)に立ち寄った。増田町はわたしの祖父母(正確には血縁のない祖父母だが)の出身地で、蔵のある町として知られる。町の中心部の七日町には、いまも多くの蔵が残っている。
 とはいえ、表通りを歩いただけでは、たぶん、その蔵の存在にも気づかないだろう。それもそのはず、ここの蔵はすべて「内蔵」で、外観からはわからない構造になっている。

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       佐藤又六家の正面 このなかに内蔵が収まっている

 増田は江戸時代から葉たばこや繭の一大産地で、これらを中心とした物資の集散地としてたいへん賑わったところ。明治に入ると、増田銀行(現在の北都銀行の前身)が土地の資産家らによって創設され、さらに水力発電会社や製陶会社などが次々と設立されると、いっそう大きな発展を遂げる。各地から商人が集まり、そのなかから大きな商人も生まれる。それとともに蔵の数も増えていった。
 増田は横手盆地にあって、冬になると豪雪に見舞われる。蔵は、その雪害から守るために母屋になかにつくられた。だから「内蔵」。その「内蔵」も、もともとは物品を収納するための「文庫蔵」がほとんどだった。が、明治以降になって、「座敷蔵」が多くを占めるようになった。

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      佐藤又六家の座敷蔵 いまもここで生活している

「座敷蔵」とは、その名のとおり座敷間を有する蔵のこと。商家の当主など、特定の家族の居室として使われた。だからだろう、蔵の内は、多くが、商家の権勢を誇示するような立派なつくりになっている。増田町の「内蔵」を観るのは二度目だが、今回、あらためてその「座敷蔵」と調度品の豪奢さに目を瞠らされた。

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        七日町の通り ちょうど祭りの日だった

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         宿泊した鳥海山の麓の宿から 朝の眺望