室生寺の仏たちに会いにいった

 仙台市博物館で催されている「奈良・国宝 室生寺の仏たち」を観にいった。東日本大震災復興祈念特別展として企画されたこの展示会はもちろん東北地方初開催で、パンフレットには、この種の公開は仙台市博物館のみでおこなわれるとあった。もしそうなら、この機会に行かないと二度と観ることができなくなるかもしれない。そう思い、いそいそと出かけた。
 室生寺はあらためて紹介するまでもないが、奈良県宇陀市室生山にある真言宗の古刹で、同宗室生寺派の大本山である。「女人高野」の別名でも呼ばれ、古くから女性の参詣を許してきた寺として広く知られている。
 この寺に、国宝の十一面観音菩薩立像や釈迦如来坐像をはじめ、貴重な仏像が多数所蔵されている。今回の展示会では、これらの仏像の多くが公開されている。

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 その仏たちと対面した。そして、その造形が持つ力に魅了された。
 とりわけ、十一面観音菩薩立像には厳かな美しさがあった。ふくよかな女性的な表情のなかにどこか険しさが宿っていて、観ていて粛然とさせられた。
 この十一面観音菩薩立像について、白洲正子は著書『十一面観音巡礼』のなかで次のように書いている。
「私にいわせればやはり山間の仏で、平野の観音の安らぎはない。両眼をよせ気味に、一点を凝視する表情には、多分に、呪術的な暗さがあり、まったく動きのない姿は窮屈な感じさえする」
 もっとも、わたしが受けた印象はそれとはやや違った。

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 一方、同じ国宝の釈迦如来坐像は、十一面観音菩薩立像とはまったく趣を異にする。こちらは男性的で、悠然としたなかに相手を見透かすような洞察力がある。その端然とした姿には、やはり身が引き締まる思いがした。
 こうしてみると、たとえ仏像であれ、単純に心が安らぐというものではないような気してくる。もちろん、仏としての深い慈愛は感じさせるが、同時に、わが身を正してくるような厳しさもある。そうした厳しさ、険しさを内包しているのが、山間の仏の特徴なのかもしれない。
 このほかにも、魅力的な仏像がたくさんあった。十二神将立像もそうで、その十二体の表情、動きは奇矯かつ豊かで、観ていて飽きない。
 これだけの仏像がいちどきに観られる機会は、確かに、地方の都市ではそうないかもしれない。いずれ、一度ならず何度も対面したくなる仏たちである。
(上の二つの写真は同特別展のリーフレット)