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梨を食して友を想う

 高知の友人から新高梨が送られてきた。友人は高知市針木で梨園を経営していて、毎年この季節になると自分の農園で作った梨を送ってよこす。大きさは年によって異なるが、今年は700グラムほどのものだった。
 針木産の新高梨はみな大玉で、以前送ってもらった梨は1.2キロもあった。もちろん、大きいだけではない。香りがよくてみずみずしく、奥ゆかしい甘さがある。この上品で深みのある甘さがなんとも言えない、絶品なのである。

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           友人が丹精込めて作った針木産新高梨

 初めて新高梨と出会ったのは二十歳のころだった。そのころわたしは東京で芝居の勉強をしていて、高知出身の彼も同じ劇団の養成所にいた。新高梨はその彼の母親が上京のおりに持参してきたもので、たまたま彼のアパートに遊びに行っていてご相伴にあずかった。
 それまで梨といえばせいぜいソフトボールぐらいの大きさの梨しか知らなかったわたしは、新高梨の大きさに仰天した。なにしろ小ぶりのスイカほどもあった。食べてみれば、これがまたおいしかった。
 もっとも、いまとなってみれば、「すごく大きくてたいへんうまかった」という、ひどく大雑把な記憶しか残っていない。が、高知から梨が届くたびに、そのときの驚きがよみがえってくる。そして、決まって、彼といっしょに芝居をやっていたころのことが思い出される。
 彼は養成所時代からすでにいい役者だった。文学座にいた加藤武似の風貌から発する声は劇場客席の端まで通るバリトンで、演技力も抜群だった。その能力は養成所でもずば抜けていて、わたしなどはいっしょに稽古をしていて、しばしば自信を失った。
 彼は養成所を出ると芥川比呂志などがやっていた劇団「雲」に入団した。やがてみるみる頭角を現すと映画やテレビドラマにも出演し、主役も演じるようになった。まわりは彼の将来に期待した。
 その彼が、突然、劇団を辞めることになった。梨園を経営していた父親が急逝し、その跡を継ぐことになったためである。
 そう決断するまでには相当に悩んだに違いない。しかし、すでに別の劇団で活動していて以前のように頻繁に会うことがなくなったわたしは、結果だけを聞かされた。わたしはその心の内を理解しながらも、残念でならなかった。
 いまは、梨農家がすっかり板に付いて、風貌も自然とともに生きる農民のそれになった。彼にとっては、それでよかったのかもしれない。そう思いながらも、ときどき、ふと、彼の円熟した芝居を観たかったなあ、などと思ったりしている。
 梨を食べながら思い出すことの一つに、養成所の卒業公演のときの出来事がある。彼はその公演で、わたしが書いた戯曲で主演することになっていた。
 ところが、戯曲がまずかったのか、相談なしに演目を決めたのがまずかったのか、劇団からストップがかかった。すでに稽古は立ち稽古の段階に入っていた。仲間たちは猛反発した。劇団にたいし何度も撤回を申し入れた。だが、受け入れられなかった。

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      そのときの台本 当時はみなガリ版刷りだった

 結局、劇団から押しつけられた、やりたくもない戯曲で公演することになった。しかも、どういうわけか、主役がわたしにまわってきた。結果、舞台は惨憺たるものになった。

 梨が届いて、お礼の電話をかけた。
「いよっ、元気?」
 そう言う彼の声は、現役当時そのままの、よく通るバリトンだった。