東日本大震災

東日本大震災から12年。

東日本大震災からまもなく12年。ことしも被災した各地をめぐり歩く。3月11日から一週間、久しぶりに下北半島まで足を延ばす。『原発ドリーム』の取材で訪れたところをもういちどたどるつもり。 これまでと同様、今回も取材が目的で行くわけではない。単…

花見、あるいは無題。

予定より遅れての3月末、東日本大震災の被災地をめぐった。年にいちど、そうすることにしている。 写真は撮らない。あとでなにか書こうとも考えない。毎年同じ場所に立って、ただ街とそこにいる人たちを眺める。大事なことを見逃してしまわないように。 久…

墓参りがてら石巻の津波復興祈念公園を訪ねた。

盆を避け、だいぶ遅れてから郷里の墓参りに行った。コロナ蔓延で人の移動を控えるよう呼びかけられているなかなので、実家にも連絡を入れず(連絡すれば会いたくなるので)、誰とも会わないよう心がけた。車での日帰りはさすがにきついので宿を取ったが、終…

9年目の3.11

ことしもまた東日本大震災被災地をめぐってきた。復興途上の街、9年前と変わらぬ手つかずの街。そこに暮らす人々、また暮らすことをあきらめた人々。いろいろと見てきた。 でも、いま、ここに感想めいたことは書かない。書けない。いずれべつのかたちで表わ…

大震災から7年、被災地で。

3月11日から4日間、震災7年目を迎える東北地方太平洋沿岸をめぐった。震災の翌年、同じ時期に被災地を訪ねようと決めてから、毎年欠かさずつづけている。もっとも昨年ばかりはいつもと違い、釜石市と後日まわった福島県だけになった。釜石市内で乗用車…

あけましておめでとうございます

ことしも静かに新しい年を迎えた。仙台にいたときは毎年元旦から親戚一同が集まり盛大な酒盛りで始まったが、益子に越してからは、娘たち家族を含めたごく身内だけのささやかな正月になった。これもいい。 2日のきょうは、飲むのにも飽いて、下の城内坂を流…

5年目の盆

信仰心もないのに、継ぐ者がいなくて墓守を引き受けてしまった。といっても、もう25年もむかしのことだ。 墓には妻の両親が入っている。その墓守の役目として、盆と彼岸の墓参りは欠かさない。家には遺された仏壇もあって、あまり熱心ではないけれどときど…

大震災から5年3ヵ月、三陸沿岸、福島県沿岸をめぐる

5月末から6月初めにかけて震災被災地をまわった。震災後まもなく主に三陸沿岸を取材で歩いて以降、3月11日とその前後には被災地の現場に立つ、と自らに課してきた。 当時、仙台市の若林区にいて、自宅はさして被害もなかったが近くまで津波が押し寄せ、…

原発で釣り場を失った友を思いつつ、外道のイナダを食べ尽くす

知人が大量のイナダを持ってきた。イナダと聞いても西日本の人たちには耳慣れないかもしれないが、出世魚であるブリの子どもと言えば見当がつくだろう。地方によってはツバスとかハマチなどとも呼ばれていて、関東ではさらにワラサとなってブリに成長する。 …

夢に見る震災はなにを語るのか

変な夢を見た。 郷里の石巻のどこかはわからない、しかし懐かしいと感じるらしい場所の、いまはがれきの原となったところにいた。その一角だったかに、少年時代の仲間たちが集っていた。なかに、いまも交流がある友人が二人いた。 その一人が手招きをする。…

老人が手紙にこめた「窓あけて窓いっぱいの春」

3.11大震災の津波で被災し、いまも釜石市鵜住居の仮設住宅に暮らしている老人から手紙が届いた。手紙には先日訪ねたことへの礼に加えて、「窓あけて窓いっぱいの春」という山頭火の句が書き添えられてあった。 手紙はうれしかった。が、一方で、東側を山…

3.11大震災から4年 また被災地をめぐる

3.11大震災の被災地を、折にふれて訪ねている。被災地という意味ではわたしの住むところも同じなのだけれど、現実にはこれといった被害をこうむっておらず、被災者が味わったはずの恐怖も悲しみも苦しみも実体験していない。それがある種やましさに似た…

3.11とモディアノ『1941年。パリの尋ね人』

3.11大震災からまもなく4年になる。いまだに2590人の行方がわかっていない(2015.2.10 警察庁調べ)。遺体が見つかっても、どこの誰かがわからない人たちも少なくない。なのに、震災のことも犠牲者のことも、時とともに忘れ去られていく。 人々の記…

野里征彦著、震災小説集『渚でスローワルツを』が刊行

岩手県に在住しながら旺盛な創作活動をしている野里征彦の新しい作品集が、このほど本の泉社から出版された。著者は東日本大震災時の津波で大きな被害を受けた被災地に住んでおり、これまでも被災地、被災者の位置からいくつもの作品を紡いできた。新著には…

室生寺の仏たちに会いにいった

仙台市博物館で催されている「奈良・国宝 室生寺の仏たち」を観にいった。東日本大震災復興祈念特別展として企画されたこの展示会はもちろん東北地方初開催で、パンフレットには、この種の公開は仙台市博物館のみでおこなわれるとあった。もしそうなら、この…

震災後文学について考える

ずっと、震災後の文学について考えてきた。そのために、この間、そうした小説やそれらを論じた評論を可能なかぎり読むよう心がけてきた。とはいえ、発表された作品の数からすればごく一部にすぎず、それでなにかがわかったという気はまだしていない。 自宅か…

のっつぉこいで清水寺

少し前になる。花巻市郊外の一軒宿の温泉に泊まった翌朝、例の「のっつぉこぎ」の性がでて、できるだけ幹線道路を通らないで仙台の自宅に帰ることになった。田舎道を選んで、ともかく南南東方向に進もう。方角さえ誤らなければ、いずれ目的地に着くはず。そ…

「復興の歌」を聴き「復興の酒」を飲んだ、あのときのこと。

知人が亡くなった。生前、宮城県塩竃市に住んでいたが、もともとは岩手県釜石市の出だった。深いつきあいはなかったが、わたしの書いたものを目にしたりすると、思い出したように電話をかけてきた。それがいつも、すごい長電話になった。 最後に会ったのはち…

大震災からまもなく3年―岩手県釜石市のいまを歩く

大震災から二年十ヵ月経った一月半ば、釜石市を訪ねた。震災の三ヵ月後に取材に入って以来、これが八度目。行くたびに、同じ被災地でありながら復興の進み具合に大きな格差が生まれているのを感じさせられている。 格差は、当然ながら被災者にも及ぶ。そして…

被災地、被災者のことを記憶しつづける

元日はきょうだい家族が集まり、新年会を開く。年初の恒例行事だが、今年は義兄が二人、風邪を引いたり用事があったりで欠席した。二人ともいい飲み相手だったから、正月の楽しみの一つが奪われてしまったようで、少々落胆した。 ところが、始まってみればそ…

釜石の津波体験集『3・11その時、私は』第2集出る

釜石・東日本大震災を記録する会の編集になる『3・11その時、私は』の第2集が大震災二年目にあたるこの三月、発行された。わたしのところにも、取材で知り合った方から一冊送られてきた。記録集はA5版170ページで、聴き取りも含めて40人の証言が…

大震災から二年―岩手県沿岸被災地を訪ねて

大震災から丸二年がたった。 自分に係る被害が微少だったとはいえ、多数の犠牲者を出した荒浜海岸を数キロ先に控え、なおかつ、甚大な被害を蒙った石巻市を郷里に持つ者として、一日たりとも震災や津波を意識しない日はなかった。たとえ積極的に意識せずとも…

命より原発マネーが大事か―大間原発建設をめぐって

下北半島の北端にある大間原発の建設再開をめぐり、青森県と北海道の関係自治体が津軽海峡を挟んで対立している。2月19日夜のニュースは示し合わせたようにそんなふうに報じた。翌20日の「河北新報」は、これを次のように伝えた。 《昨年10月に建設が…