益子は蕎麦の花が真っ盛り

 蕎麦の産地といえばすぐ北海道や東北、信州を思い浮かべるが、北関東、なかでも茨城県や栃木県はそれらに比肩するほどの産地なのだそうだ。
  農水省の統計によると、2015年の都道府県ごとの蕎麦生産量は、北海道がダントツの一位で、二位が長野県、三位が茨城県、四位が福井県、五位が山形県で、栃木県が六位だという。そう言われてみれば、確かに、周辺には蕎麦畑が多い。

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 きょう、たまたま用事があって益子町の南部、農村部を車で走っていたら、至るところで蕎麦畑を目にした。ちょうど花の盛りで、まるで白い絨毯を敷いたよう。思わず見とれてしまった。

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 いよいよ新蕎麦の季節到来だ。蕎麦好きにはたまらないなあ。

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5年目の盆

 信仰心もないのに、継ぐ者がいなくて墓守を引き受けてしまった。といっても、もう25年もむかしのことだ。
 墓には妻の両親が入っている。その墓守の役目として、盆と彼岸の墓参りは欠かさない。家には遺された仏壇もあって、あまり熱心ではないけれどときどき花を供える。気が向けば線香も上げる。この春、益子に引っ越すことになって、仏壇もいっしょに引っ越した。
 だが、私はその墓に入るつもりはない。妻もどうやらその意向のようだ。娘たち家族には散骨にしてくれと言ってある。じつは、娘の師匠で義父母でもある成井夫妻も散骨だった。家には仏壇も写真も置いてない。当然、墓もない。
 といって、故人が軽んじられているわけではない。それどころか、遺族ばかりでなく知人たちにも、それぞれに特別の想いとして深く刻み込まれているようだ。命日になれば、子どもたちが散骨した海近くの岸辺に集い、故人を偲ぶ。故人は彼らの心の中に生きている。墓があるかないかは関係ない。もちろん、墓を否定するつもりはない。亡き人を偲ぶ形はいろいろあっていい。そう思うだけである。

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            写真はイメージ

 墓を守っていくというのは案外難儀なようだ。近くに住んでいればいいが、遠く離れてしまうと墓参りもままならなくなる。元気なうちはまだしも、老いて体の自由がきかなくなればどうしようもない。そうやって無縁になっていく墓が増えている、と聞く。
 この盆、墓のある寺から引っ越し先まで回向の案内が届いた。その末尾に、長く連絡が取れないと墓が取り壊される、と記してあった。印字だから、わざわざわが家に向けて書かれたわけではないと思う。時世の反映なのだろう。
 あの大震災で、家の墓は上半分が倒れた。それはしかしまだいいほうで、海岸のほうでは寺もろともことごとく流された。高台にあって流出をまぬがれながら、大半が倒壊してしまった墓地も少なくない。
 ところが、そうしたところへ翌年行ってみると、真新しい墓が建てられている。2、3年もしてみれば、流された墓地はべつにして、多くのところで墓が再建されていた。肝心の家がまだ再建もされていないのにだ。墓とは―先祖と言い換えてもいいが―、そうしたものなのだろう。いま現在がつらければつらいほど、そういう思いが強くなるのかもしれない。
 盆になると、郷里の寺にある百日紅を思い出す。ちょうどいまごろ、紅色の花をたくさん咲かせた。益子のいまの家にも百日紅がある。一本は紅色、もう一本は薄紅色の花を咲かせる。紅色のほうは樹齢40年はあろうか、巨木に成長している。その花が、いま盛り。見上げると、まるで亡き人の魂が宿っているようだ。

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           わが家の庭の百日紅

 それを眺めいていて、ふと二ヵ月ほど前に訪ねた福島が想われた。ついでに、一句浮かんだ。が、俳句は好きだが、詠むのはまったくの素人。そこをわかってもらって、笑われるのを承知で最後に紹介しておきたい。

     浜街道 主いぬ庭や 百日紅

 

 

 

益子虫雑感

 二日前の早朝、庭掃除をしていて、家の外壁にくっついている羽化したばかりのセミとその抜け殻を見つけた。セミのことはよく知らないが、アブラゼミでもミンミンゼミでもないことは確か。このところ夕刻になるとカナカナゼミが鳴くから、たぶんそれではないか。そう思って調べてみたら、間違いなかった。

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         ヒグラシ(Wikipediaから)

 仙台にいたころは、セミの声などほとんど無縁だった。旧居のあった地域は住宅地で樹木が少なく、たまにアブラゼミが迷い込んできて鳴くのを耳にする程度だった。それが、益子に来てまもなく、セミの声を聞くことになった。いまはまだヒグラシの声だけだが、そのたび、子どものころの郷里を思い出して懐かしくなる。日暮れに聞くヒグラシの声は、ことさら心にしみるようだ。そのひとときがいい。
 ヒグラシは生物の分類でいうとカメムシ目なのだそうだ。山中の湯治宿などでよく見かける、あの異臭を放つカメムシの仲間なのだ。嫌われもののカメムシとカナカナゼミが同類だとはにわかに信じがたいが、ヒトも含めて生物の進化を考えれば不思議でもなんでもないのかもしれない。カメムシ目にはセミの仲間のほか、ウンカやアブラムシなども含まれる。みんな身近にいる虫たちばかりだ。
 身近といえば、いまの住まいにはいろんな虫が闖入してくる。なかでも、驚かされるのはゲジゲジだ。どこから入ってくるのか、ときどき壁を這いのぼっているのを見かける。よく見ればなかなか愛嬌のある虫だが、妻は見つけるたびに大きな悲鳴をあげる。なんとなくムカデに似ているからなのだろう、そのたびにこれはゴキブリなどを補食する益虫なのだと教えるが納得しない。たたき落とそうとするから、そっと捕まえて庭に放してやる。大きさは5~7㎝もあるか。
 このゲジゲジ、這っているときはのたりのたりとしているから捕まえやすいだろうと思うとそうではない。なかなか俊敏で、逃げ足が速い。2回に1回は捕獲に失敗する。壁からジャンプして床に落ちたかと思うと、滑るように這ってあっという間に外に飛び出す。もっとも、そのほうが手間が省けていい。

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            今朝5時ごろ 仕事場から

 考えてみれば、もともと虫たちの棲み家に押し入るようにして建てた家だ。文句は言えない。むしろ、虫たちのほうがひどく迷惑しているに違いない。
 とすれば、こちらは多少遠慮して、仲良く暮らす以外ない。それが、里山のなかで暮らす者の作法かもしれない。

大震災から5年3ヵ月、三陸沿岸、福島県沿岸をめぐる

 5月末から6月初めにかけて震災被災地をまわった。震災後まもなく主に三陸沿岸を取材で歩いて以降、3月11日とその前後には被災地の現場に立つ、と自らに課してきた。
 当時、仙台市若林区にいて、自宅はさして被害もなかったが近くまで津波が押し寄せ、東部の海沿いの集落はほぼ壊滅して大勢の犠牲者を出した。生まれ故郷の石巻市では市街地から半島の小さな集落まで津波に呑み込まれ、3700人もの死者、行方不明者を出した。友人や知人も失った。そうした重い事実が自分のなかにあって離れず、時期になると現地に向かわせる。おそらく、体の許すかぎり今後もつづけることになるだろう。
 と言いながら、ことしはちょうど引っ越しと重なってそれがかなわなかった。そしておよそ3ヵ月後、やっと実現できた。
 今回は南三陸町から気仙沼市陸前高田市大船渡市、釜石市宮古市、そして久慈市へと北上。さらに、原発事故の被害の大きかった地域、宮城県丸森町から福島県飯舘村浪江町南相馬市双葉町大熊町、富岡町、楢葉町とまわった。測定器を持参して、放射線量も測った。
 全体を見て、率直に言って落胆した。釜石市の中心市街地のように復興の比較的速いところもあるが、ほとんどが道半ば、というより先が見えない。大規模なかさ上げが進んでいる南三陸町陸前高田市にしても、はたして工事がいつ完成するのか、仮に完成してもそこに人が戻ってくるのか、まるで見当がつかない。むしろ、絶望的な気持ちにさえなる。
 実際、地元の人に訊いても、希望の持てる話は返ってこない。もっと国ぐるみで進められないのかといった声も少なくない。金と人とを惜しみなくつぎ込む東京オリンピックを羨む声もある。メディアから忘れられてきている、と嘆く声もある。
 福島県沿岸に行けば、一部で避難指示が解除されて帰宅準備が進んでいるところもあるが、帰還困難区域は文字どおりゴーストタウン化している。眺めていると、図らずもチェルノブイリ原発事故後のうち捨てられた村の映像が重なってくる。そこは、ただただ絶望に覆われている。
 が、それらをここで詳しく述べる余裕はない。以下、いくつかの写真と福島で測定した放射線量の結果を、訪ねた順に記すにとどめる。

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          一帯は盛り土の山ばかり(南三陸町

放射線量測定結果(宮城県丸森町福島県いわき市、2016年6月3日)

 宮城県丸森町不動 あぶくま荘前 0.161 μSv/h
 丸森町筆甫 筆甫小学校前 0.229 μSv/h
 福島県伊達市霊山町 国道113号線 霊山パーキング内 0.346 μSv/h
 福島県飯舘村草野 草野小学校前(閉鎖中) 0.420 μSv/h
 *やや霊山寄りにあるモニタリングポストは 0.8 μSv/h超

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          除染作業はつづく(飯舘村草野)

 飯舘村草野 県道12号線 ミートプラザ前(閉鎖中) 0.729 μSv/h
 浪江町 県道14号線 浪江町入り口付近 2.279 μSv/h

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      県道14号線 浪江町入り口 この先は立ち入りできない

 浪江町 県道14号線 上立野公民館前 2.754 μSv/h
 *モニタリングポストは 1.143 μSv/h(この先、帰還困難区域で通行止め)
 南相馬市小高区 小高郵便局付近(閉鎖中) 0.102 μSv/h
 *家々には人は不在だが庭などはよく整備されている。帰還待ちか?

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             南相馬市小高の目抜き通り

 南相馬市原町区 国道6号線 道の駅南相馬庭(芝生) 0.207 μSv/h(車内0.157 μSv/h)
 双葉町 国道6号線 双葉町入り口(寺内前) 3.825 μSv/h(車内2.154 μSv/h)
 以下、帰還困難区域内での駐停車原則禁止。窓を閉めエアコンは内気循環で測定。
 大熊町 国道6号線 福島第一原発入り口付近 車内で6.5 μSv/hを超える
 *走行中の測定。
 富岡町上郡山 国道6号線 セブンイレブン駐車場(営業中) 0.222 μSv/h
 *場所によっては0.854 μSv/h
 楢葉町北田 ふたば復興診療所駐車場 0.111 μSv/h
 いわき市四倉 道の駅よつくら港駐車場 0.069 μSv/h
 いわき市常磐湯本 ローソン前 0.058 μSv/h

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美空ひばりの歌碑がある塩谷埼灯台 映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなった

転居から1ヵ月余、益子から

 益子の新居に落ち着いて1ヵ月あまりが経った。引っ越し荷物の整理もなんとか済んで、まわりに気を配る余裕もできた。同時に、少しずつ仙台との違いもわかってきた。
 気候は内陸型なのだろう、海が近い仙台とくらべると、気温は日中高く朝晩が低い。つまり、一日の気温差が大きい。その落差にはじめは戸惑い、油断して風邪を惹きもした。が、最近はそれにも慣れてきた。いまの時季はむしろ朝のひんやりした空気が心地よく、まわりを囲む森のせいもあってか、高原にいるような爽快な気分になる。
 朝はウグイスの声と寺の鐘の音で目が覚め、少し経つとホトトギスやヤマバトが鳴き出してのどかな一日が始まる。民家はわが家の下に数軒、上にはハンガリー出身の彫刻家(故人、いまは奥さんがひとり住んでいる)のアトリエ兼居宅と別荘が2軒あるのみ。したがって人の行き来はほとんどなく、静かなことこのうえない。

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 彫刻家のアトリエ 庭にはいくつもの彫像が立っている(4月ごろ撮影)

 仕事に疲れたら散歩に出るのもいい。コースはいくつもある。なかでいま気に入っているのが、通りを隔てた高台にある美術館と周辺の公園、寺院の境内をまわるコース。およそ40分程度の行程だが、枝を大きく広げた木々の下を鳥のさえずりを聞きながら歩くのは気持ちがいい。高低差もかなりあるから、足腰の鍛錬になって健康にもいい。夕刻ならちょっと足を伸ばし、そのまま居酒屋の暖簾をくぐるのも悪くない。
 と、まあ、いまのところ、住まいと環境にはたいへん満足している。

 ところで、大震災から5年になるこの3月、例年どおり被災地をまわる計画だった。しかし、引っ越しの関係でかなわなくなり、落ち着いたらできるだけ速やかに訪ねることにしていた。
 それが、先日ようやく実現した。南三陸町から気仙沼陸前高田大船渡、釜石、宮古、久慈まで行き、途中、べつの取材で秋田県内をまわってから、原発被災地の福島県沿岸を巡った。丸一週間の行程だった。
 そのことを少し触れたかった。が、あいにく今回は時間がない。なので、次回に譲ることにする。